2001年 8月5日(日)常盤の海                     
       魚は何処に?

                                魚のいない海でミーと鳥が
最悪の組み合わせ
先週カンパチを釣ったポイントに着いたのが、午前4時。
まだ暗い堤防に見た事のある人影あり。
近ずいて見るとMAさんだ。
このMAさんとノビタは、最悪の組み合わせである。
2人が釣り場で一緒になると、いつも共倒れの貧果か、坊主がこれまでの実績。
このコンビは、互いに厄病神なのだ。

厄病神が、よそみをしている事を期待して釣りの準備を始めた。
今日も餌無しのサビキだけの仕掛け、ミーの分も合わせ2人分の竿を準備し、明るくなるのを待つ。
午前4時40分、大分明るくなってきた所で釣りを開始。
釣りを開始してから20分ほど経過、海から魚の気配を全く感じない。

ゴミは永遠になくならない
日の出とともに全貌を現した堤防。
多くの釣り人の姿と、その足元に累々と続くゴミがある。
このゴミは日本人の恥部であり、これは日本人の集団共同無責任という毒性の結果である。
この堤防を見た外国人は、これが文明人のやることかと、あきれるのでは。

小島玲子が、
「ゴミは持ち込まず、持ち帰る」
を、毎週TVで訴えているが、それは誰もいない太平洋に向かって叫んでいる様なもの。
この放送が流れた途端、ほとんどの釣り人は、
「俺には関係ないや」
と、プチンとスイッチを切るか、他にチャネルを回すのかも。

開高 健は、その著書の中で、”日本人はゴミから生まれたゴミ族である”と、軽蔑と失望と嘆きを込めて記述していた。

法令で、”ゴミを捨てる釣り人が多いので釣りを禁止する”が成立しない限り、ゴミ問題は、永遠に続くような気がしてならない。

    
本日貧果なり
拓さんが目の前を
午前5時、2人の釣り師が目の前を通り過ぎて行く。
その一人は拓さんだ。
目をギンギラギンに輝かせ、2人で夢中になって話て行く。
ノビタなど、”路傍の石”(山本有三)にしか見えなかったようだ。
”路傍の石”が、話かけては悪いと見送った。

午前6時までにノビタとミーが合わせて18〜21cmのアジを5匹釣ってThe End!。
後片つけをしていると。

先ほどの拓さん一行が、厳しい顔をして何やらボソボソと、うつ向きながら先端の方から戻って来る。
気の毒なので、黙って見送った。
ノビタとミーも午前6時10分、現場を撤退。

途中、KWさんに会う。
午前4時頃きたが駄目なので、そろそろ帰ると話ていた。

しばらく行くと、遠くのデッパリ堤防で、せかせかと場所をあっちこっちと移動しながらルアーを投げている釣り師がいた。
拓さんだ。
往生際悪く、無駄な抵抗に汗を流しているのでは....。
こんな日は早くあきらめた方が良いのにと思いつつ帰って来た。
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