1999年 10月9日(土)旭村の石持                  
強風と荒波に負け、爆釣ならず!

                                    
突堤に砕け散る波と日の出
ガソリンが心配
満天の星の下、行き交う車もほとんどない国道245号線を50CCのバイクで突っ走る。
ガソリンメータの指針が赤線を指している、ガソリンは残り2リットルを切ったようだ。
2リットルで走れる距離は約30キロ、旭村までの道のりが30キロを超えると目的地にはつけない、進むべきか、戻るべきか?もう戻れない、後は運を天にまかせるしかない。

国道51号と交差する信号は赤、バイクを停止する、丁度51号線側も赤信号だ。
51号線側はトラックや車が列をなし、暗い国道245号を走って来た目には、車の灯りや街灯が、ネオン街を彷彿させるほど華やいで見えた。

暗い国道51号線の向こうに、そこだけ際立って明るく浮き立つ所がある。
近ずくと反対車線側に賑やかな白熱電球に照らされ、24時間営業のガソリンスタンドが現れた。
思わず心のなかで「ヤッタゼ.ベェビー!!!」
天は我を見捨てなかった。
ガソリンを入れ、途中セブンイレブンに寄り朝食を仕入れて店を出ると、看板の旗が風にはためいている。
一瞬、不安がよぎったが、特に気にもせずバイクを走らせる。
これが大間違い、陸で感じる風の数倍あるのが海なのだ。

物の怪が出そうな海
海岸沿いは真の闇、随分長いこと来ていないので道先が心もとない。
やっとのことで、目指す流砂防止の突堤に着いたのが午前3時だった。
北風が強く、先端は波飛沫が飛んでいる。
釣り人は誰もいない、物の怪がいきなりニューッと出てきそうで何となく落ち着かない、不意打ちされるのが恐いので、キョロ、キョロ、と時々周囲を見渡す。
波がテトラに砕ける音も、恐怖心には、物の怪が海からガバーと体を現す音に聞こえてくる。

北風が強いなかで、準備に取りかかった。
浮子釣りは無理と、投げ竿を出し、胴突仕掛けにサンマの切り身を付ける。
ここの突堤は上の写真のように、穴あきのコンクリートブロックを並べただけなので、闇夜では足場が悪く、非常に危険である。
突堤の北側の方が、南側より比較的波が穏やかなので、そちらに投げることにした。
北風に飛ばされそうになりながら、懐中電灯で足元を照らし、ブロックの穴をまたぎ、右手に竿をささえ、ヨロヨロ、オタオタと先端側に進む。

    
荒れる堤防の南側
入れ食い
闇の海へ、重り25号の仕掛けをぶん投げた。
何処に仕掛けが飛んだのやら分からない、リールを巻き糸の弛みを取っていると、風の抵抗を受ける竿にグ、グ、グーの魚信が、ひっきりなしに伝わってくる。
その度に合わせる、針掛かりしない。
何度目かの合わせで、手応えがあった。
波打ち際は、コンクリートブロックが、斜めに水中に埋まっているので、素早く上げないと砕ける波に流され、仕掛けがブロックに挟まれてしまう。
闇夜の波打ち際を制し、上ってきたのは20センチ足らずの小振りな石持だった。

2投目、仕掛けが海に落ちると同時に魚信、一投目と同じでなかなか針がかりしない、何度目かでやっと針掛かり。
真向かいの風に嫌気がさし、荒れ模様の南側に投げる、北側と同じで仕掛けが海に落ちると同時に魚信、上がってきたのは20センチ級がダブル。
この後も投げると直ぐに魚信があり、海一面が石持の絨毯状態ではないかと浮き立つ。
ただ足場が悪く、強風に邪魔され、餌の付け替えから投げるまでに相当時間を要した。
3時半頃に一人釣り人が来て30分ほど何かを狙っていたが、あきらめて帰って行った。

海は大荒れとなり、石持は何処かに消える!
風は時間の経過とともに東よりに向きを変へ強さを増し、夜が白んできた午前5時を過ぎると、海はますます荒れてきて、堤防から砂浜は攪拌状態となる。
魚信は消えたが、久しぶりの遠出なので、あきらめきれず餌を替えては投げるを繰り返す。

                                    
         本日釣果
いつの間にか波飛沫で、上着も、帽子も、眼鏡も、顔も、耳も、白く塩が付着している。
午前6時頃にポツリ、ポツリと釣り人が3人集まって来た所で、彼等と入れ替わり、竿を納めた。
風と波が邪魔さえしなければ、爆釣の可能性大だったー!
風が収まったならば、リベンジする。
本日の釣果
 石持    17〜24センチ 10匹
家で放射能測定機”はかるくん”で放射能を測定した結果は、0.042μSV/hで問題無しでした。

昨日の話
昨夕、会社から帰って来ると家のカミさんが、
「あれ借りましたよ!」
「えっ、ホントニ!」
話を聞いた時は半信半疑だったが、実物を見せられ納得した。

一昨日の朝、新聞と一緒に
”放射能測定器を無料で1週間貸し出します”のチラシが入っていた。
申し込みはFAXかハガキとあり、朝からFAXしようとしたが、相手側がいつも通話中状態となっていて、送れたのが午後4時を廻っていた。
貸し出し希望日を、申し込んだ翌日の昨日からとしたので、カミさんに駄目元で確認するよう、朝の出がけに頼んでいたのだ。

カミさんが、東海村にある『財団法人 放射能計測協会』に電話したところ、やはり予約が殺到し、電話に出た女性から順番待ちだと言われ、ノビタの場合はまだ借りられないとのことだった。
カミさん待ってました(?)とばかりに、
「私は東海村の住人ですよ!」
(この方をどなたと心得る、天下の副将軍水戸光圀候なるぞ!頭(ず)が高い、ひかえおろう!)

                     
                      写真をクリックすると、
てな感じで一喝したのだろうか、                       貸し出し詳細HPにリンク
「一寸お待ちください...............
......ありましたので、とりに来て下さい」
と、瞬時に決着がついてしまったようだ。

東海村の住人は、王族か、貴族なみの特権階級に族しているのか。
そうではなく家のカミさんは東海村の住人は、犠牲者として当然優先される権利がある、と言いたかったのだ。

でも東海村だけでなく、茨城県全体にこの事故は大変な損害をもたらした。
風評による農畜水産物関係、観光関係を生業としている人達への損害は大きい。
今回被爆した人の中には新婚の方もいて、子供を産むことを断念したという話も聞いた。
いずれにせよ東海村の住民だけを優先するのはおかしいと思うのだが、借りれたのだから有効に使わしてもらおう。
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