2008年7月20日(日)
ノビタの釣り天国



      カエルのションベン


釣りの代わりに散歩
 釣りに行く元気が湧いて来ない。
運動不足解消のため散歩はしている。
その散歩も、ここ数日の焼き殺されそうな暑さに負け釣り同様中断していた。
散歩は1時間から2時間、距離にすると、5〜10キロメートルほど。
その日の天候や体調により距離を加減している。
コースは車がほとんど通らない田んぼ道。
今日は曇り空、これならと気合を入れて家を出た。
空気は湿気を含んで生温く、顔や背から汗が滲みでてくるが、爽やかな北風がそれを吸い取ってくれた。
それでも一瞬、雲間から夏の太陽が顔を出すと一気に汗が噴出する。

 散歩にi―Podは必需品だ。
i―Podから耳に、そして脳を浸していく古いポップスや、イージークラシック、映画音楽、マンボ、タンゴ、フラメンコ、シャンソン、演歌、浪曲、落語、大道芸の歌、朗読、エトセトラ・・・を。
その日の気分によって選び、聞きながら散歩している。
i―Podから、弘田三枝子が歌う『人形の家』が流れてくる。
「顔も 見たくないほど
  あなたに 嫌われるなんて
  とても信じられない♪」
         (『人形の家』なかにし 礼 作詞)

まるで魚が歌っているような。
決して魚ちゃんを嫌いになったわけではない。
病気なのだ。
釣りに行くのも病気だけど、行かないのも病気。
この病気は成り行きまかせ。そのうち回復すると思うのだが・・・。

年寄りの冷や水
と・・・。
前方から70歳くらいのお爺さんが、Tシャツに短パン姿で走って来た。
前のめいりになって、そのままパターンと道にうつ伏せに倒れ、こと切れても可笑しくない走りっぷりだ。
シワシワの顔も、ポキンと折れそうな干っからびた腕や足も、真っ黒に日焼けしている。
頭に三角形の白い紙を貼っていたら、まるで“冥土の飛脚”である。
ヨタヨタとノビタの脇を走って行った。
思わず目を逸らす。
その姿、決して美しくない。
「ご老体、そんなに急いでどこへ行く?」

バードウオッチング
田んぼを貫く幅4〜5メートル、深さ10センチほどの河川、両岸は緑の雑草に被われていた。
突然、足元からスカイブルーの羽根が鮮やかなカワセミが。
矢のように川沿いを、上流に向かって水面スレスレに飛び去った。
セキレイはよく見かけるが、カワセミはほとんど見かけない、なのに今日は、このあともう一度遭遇した。
何か良い事がと嬉しくなったが何も起こらなかった。

この季節、体長7〜8センチの川魚が群れをなして泳いでいる。
セキレイやカワセミだけでなく、野カモや、時にはキジが、岸から飛び立つこともある。鳥たちにとってここは格好の食事場なのかもしれない。
青い田んぼの上をツバメがヒラリ、ヒラリと飛んでいる。
白い靄で覆われた天上から、ツク、ツク、ツク、・・・と鳴き声が聞こえてきた。
声の主を追って空を見上げると。天高く、ゴマ粒のように小さい鳥が、のこぎり歯状に飛びながら遥か靄の中に消えて行った。

風に揺れる青々とした稲の原、その50メートルほど先で、白い棒が振り子のように超スローで揺れていた。
その揺れかた、稲の葉の揺れと調和していない。
「・・・?」
目ん玉を凝らすと、それは稲から30センチほど飛び出した白鷺の首だった。
ノビタが近づくと、ゆっくり羽ばたきながら飛び去って行った。
あの白鷺は焼き鳥にしたら美味いのだろうか、と不遜な考えが浮かんだ。
魚は美味さによって高級魚とか、二流、三流とか、等級がつけられる。
鳥も美味さによって等級をつけるなら、キジや、カモは高級鳥になるのか。
昔、ガキのころ、スズメの焼き鳥を食べたことがある、その感嘆は一瞬の永遠だった。
思いだすたびに涎がこぼれそうになる。

カエルのションベン
 歩き続けること1時間。
山沿いの道に入った。
鬱蒼とした雑木林に覆われた小高い山が左に続き、右は青々とした田んぼが広がる。
山裾にそって幅4メートルほどのアスファルト道がくねくねと伸びている。
山裾は道から1.5〜3メートルの高さまで、コンクリートの土留めがされていた。
そこは空気の流れが澱んでいるせいか、むせるような草いきれがたっていた。
道の両側は、茶色に枯れた雑草が1キロほど続いている。
除草剤が撒かれたのだ。
二酸化炭素の排出量もジワジワとその代償を生物に迫っているが、このような1年中冬枯れの光景を作る行為も、そのうち天罰が下されるような気がしてならない。

道の中央からやや左、土留め側に小さなカエルを発見。
大きさは大人の小指の頭ぐらい。
路に腰を下ろし、両手を地面につき、前方を見つめている。
点、点、点、点、と、その目線の先をみたが、その先は土留め。
一体何を見ているのだろう。
この世に生をうけてまだ3ヶ月ぐらいか。
逆三角形の顔に、ギョロリとした眼、“へ”の字に結んだ口、人生わずか3ヶ月で、過酷な環境変化の艱難辛苦を舐めてきたかのようなその風貌。

 カエルにすれば、その体の何十倍もある怪獣(ノビタ)が近づいているのにカエルは石になったままだ。
恐怖で体が金縛りにあったか、冷静沈着に逃げるタイミングを計っているのか、はたまた危険に鈍感なのか。
よく見てやろうと腰をかがめると。

転瞬、カエルはションベンをジェット噴射しながら、その推進力で土留めに向かって大きく宙を飛んだ。そのションベンは空中に大きく弧を描いて散った。
瞬間、
「たいしたもんだよ、カエルのションベン」
の大書が、カシャッ!と鮮明に脳襞に映った。
―そうか、そうだったんだ。
渥美清のセリフは、事実を見た感嘆詞だったのだ。

人間に置き換えたら一升ほどのションベンを、15〜20メートルほどの高さまで放尿し飛んだことになる。
驚いてあたりまえ、金メダルの放尿ではないか。
カエルのションベンが消えても、そのシーンの残像が頭にこびりつき、いつか妄想はカエルのションベンに七色の虹までかける。
何の意味もない虹なのに。

The END
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