1997年  小笠原釣り紀行(後編)        
1、出陣

10月28日快晴。
遅い朝食をとり、8時に「かっぽれ丸」の船着場に行った。
指定された場所は、宿から歩いて3分、2人の男の姿が見える。
近ずくと一人はトキ氏、隣りに1メートル80センチ程の大男が立っていた。
トキ氏よりノリ氏を紹介してもらう。
2人の話しでは、船が用意してくれる餌だけでは心配なので、餌を買ってきたと言う。
自分も用意することにした。

昨日の釣り具屋に行くと、50才位のおじさんが店の番をしている、一寸がっかりした。
冷凍のサンマを20本ほど買った。
8時半、”こっぱ船”が近かずいて来る。
始め嘘だろと思ったほど、それは小さかった。
定員6人程の小船、それが「かっぽれ丸」だった。

2、大漁

港内を出ると海は波があり、船の前方、左右にいたトキ氏と自分は波しぶきを浴びっぱなしだ。
ノリ氏は後方、船長席の隣りにいて災難を免れている。
船は島に沿うよに走る。

走ること1時間、それ程遠くに来た分けではない。
一体ここはどの辺なのか、島の周りであることには変わりはない。
走行中に船長より渡された仕掛けに、餌のサンマとイカのゲソをつける。
仕掛けは道糸もハリスも同じ太さのナイロンの27号、ハリスは1ヒロ、針はムツの26号、重り80号。
水深40メートルの根魚狙い。

船長の合図で仕掛けを投入する。
潮の流れ早く水深30メートル程だというのに、道糸は60〜80メートル程出て行く。

隣りのトキさん大きくシャクった。
おもいっきり空振りだ。
仕掛けを上げると餌のサンマは、頭しか残っていない。
後方のノリさんも食い逃げされた。
自分の手にもゴツゴツと魚信がきた。
オーバーなシャクリはしなかったが、皆さんと同じ運命だった。
次のポイントで、始めに魚と力比べをする幸運を掴んだのは、トキさん。
弓なりとなった竿、エンャコラ、エンャコラ上がってきたのは、赤い70センチ程の魚。
船長にバラハタであることを教えられた。
島の人はヒラマサより、フライにすると美味しいので、こちらを喜ぶのだそうだ。

次がノリさん、同じ魚だがサイズアップの85センチ。
続いてまたトキさん。
上がってきたのは、50センチ程の銀鯛。
これは本土の黒鯛が様変りしたもののようだ。
自分だけ釣れない、本当にあせった。

天はやはり幸せを、平等に与えてくれた。
皆より遅れること10分、竿先がグイーンと水面下に引き込まれた。
水面下60メートル、上げるまでに何度もガクンガクンと竿先をのされたが、無事取り込み完了。
写真はトキさんの使い捨てカメラで撮った、70cmオーバーのバラハタと幸せな自分。

移動のため何度めかの、船長から仕掛けを上げる指示が出た。
船で釣る時は、この巻き上げが遅いと他の人に迷惑になる、皆あわてて巻き上げる。
自分もあわてるように巻いていた時、いきなりブレーキがかかった。
続いて逆方向への反発力がおもいっきり加わり、油断もあった。竿が垂直に近い程、水面下に引き込まれた。
糸が巻けない、じーっと絶えながら待つ。
相手の力が弱まる隙間に、ジリジリと巻いてくる。
「巻き上げる途中でかかったんだからカンパチかヒラマサかな」
ノリさんの声だ。
皆の注目と期待を背に感じながら、愛すべきファイターとのやりとり、釣り好きの最高の時だ。
けれど水面に上がってきた魚の色をみて失望した。
「何だ赤だよ〜。」
もうこの頃になると、皆この魚にあきがきていた。
贅沢で、傲慢で、我が侭な釣り師たちだ。
上がったのは80cmオーバーのバラハタ。
クーラーに入らないのでリリース。
この後も場所を替える度にヒット。
高級魚のなかでも高級魚と言われるアカハタ混じりで、カンパチ、ギンダイ、バラハタが釣れ続いた。
波があり、「かっぽれ丸」はよく揺れたが、全く船酔いもしない。
クーラも一杯となり、釣れる度にリリース、キャッチアンド持ち返り派の自分は、もったいなくてしょうがない。
夕方5時過ぎ、夕闇が海を覆い始めたころ終了。

その晩は、トキさんとノリさんが泊まっている”スコール”で祝賀会。
このパーテーで、トキさんはこの2月大手電機メーカのコンプピュータ保守員を止め、現在失業保険で暮らす身分であること、ノリさんは名古屋で土建業をやっている社長さんであること、”かっぽれ丸”の船長は関東でダンプの運転手をしていたが、釣りが好きで”かっぽれ”に夢中となり、3年前に奥さんとこの小笠原に渡ってきて、住みついたことなどを知った。
翌日(10月29日)、昨日釣った魚を小笠原の漁協に持って行き、冷凍して送ってもらう手続をした。梱包料、送料合わせて4千円程であった。
これで半日おしまい、午後はまた竿を片手の島めぐり。
白い砂浜、水深5〜6メートル程の広い磯場、だ〜れもいない。
残念だけどルアーにはヒットなし。

夕方”パパヤ”に帰って来ると、「ワオー」と腰を抜かす程、仰天させられた。
同じ宿に泊まっているフィッシャーマンのオーさんが、まさにまな板の上の巨大なヒラマサを裁くところだった。
あわてて写真を撮らしてもらった。

今夜の”パパヤ”のお別れパーテイの料理にするとのこと。
釣った場所は父島と母島の間で、メタルジグ100号を水深100メートルからシャクってきてヒットした。
300メートル走られ糸を切られ、あきらめていたが、しばらくして船長が洋上に浮かんだヒラマサを発見、運よくゲットした。
洋上でのドラマをたんたんと話してくれた、彼は前の週にこれ以上のドラマを、25kgのカンパチと対戦し経験したというラッキーボーイだ。
裁いたヒラマサの刺し身をその場で賞味させてもらい、幸福を分けてもらった。
夜は”パパヤ”のお別れパーテイ。
20人程の20才〜26才の若者達と一緒に盛り上がった。
この島にホエールウオチングや、スキューバダイビングに来る若者のの方が、釣り人より圧倒的に多い。
この若者達は一旦本土に帰るがまた舞い戻り、民宿やペンションで働き、住みつくケースが多く、島は若者達が多い。
島内の店も、若者向けのみやげ品が多く並べられている。
パーテイは7時〜夜11時半頃まで続いた。
3、帰路

父島での楽しい3泊4日のバカンスは瞬時に終わった。
10月30日午後2時半、小笠原丸は定刻より30分遅れ、二見港を出港。
島の遊覧船やら漁船やら15嫂ほどが見送る。
右の写真は”パパヤ”所有のホエールウオチング&スキューバダイビング船だ。


はるか港を離れた洋上まで見送ってくれた。
洋上でTBSのビデオカメラマンと仲良しとなり、ペルーでの人質事件やら、何やらかんやら長い船上での退屈しのぎにはなった。
洋上の夕景をスタッフ3人がかりで1時間程、カメラを固定位置で撮っていた。
4、帰宅

10月31日15時30分東京港に着いた。
浜松駅で埼玉に戻るトキさんと別れ、東京駅で名古屋に戻るノリさんと別れる。
来年の6月にまた行きましょうと約束して別れた。

小笠原より、クール宅急便で送った魚は翌日家についた。
その晩、同じ団地の釣り大好きなサクさん夫婦を自宅に呼び、祝賀会を開いた。
魚は揚げ物、なべ物いずれも絶品のお味でした。
ノリさんとの約束通り、来年の6月、再度小笠原に挑戦してきたい。
と思っていたのですが、先日ノリさんから電話があり、とうとうまた小笠原に行くことになりました。
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