1999年 4月17日(土)涸沼川                    
 辛勝の1匹
 
                                                
タコハイ
朝4時10分、目覚しがリリーンと鳴り響く。
気合を入れて飛び起きた。
朝飯に餅を3個胃袋につめ込み、熱い茶を一気に飲み干し、午前4時45分出発。
既に、外はすっかり白んでいる。
風も穏やかで、申し分なし。
50CCのバイクにまたがり全力疾走、冷たい風が身に応える。

昨日の話し。
かみさんに、川の神様に献上するお神酒を買ってきてよと頼むと、
「じょうだんじゃありませ〜ん!」
ピシッ!と断られてしまった。
甘かった、こういうことは相談すべき事ではないのだ。

しばらくして、かみさんがニコニコしながら二階に上がって来て、
「ハーイ、いいのが見つかったで〜す!」
なんと、右手に缶入りのタコハイをかざしているではないか。
タコハイとは炭酸入り焼酎なのだ。
「一寸待て
、そんなもんで御利益がある分けなかろ
神様も眉をしかめるだろうに。
もぐもぐと抵抗したが、結局、かみさんのいいなりになってしまった。
これが今日の運命を左右したような気がするのだが....。      

お神酒を献上                                          小熊(オノさん)
涸沼川に5時15分、いつもの駐車場に、大きいライトバンが1台止まっていた。
その脇にバイクを止め、釣り場に行くと、赤い服を着た小熊が腰を屈め、もそもそ蠢いている。
近ずいて声をかけると、小熊が返事をした。
「おはようっす、今来たんですか?」
オノさんだ、ノビタより5分早く着き、
「只今準備中」。

川は下流から上流に逆流している。
風がないので、水面は鏡のように真っ平らだ。
ノビタはまず、持参したタコハイの蓋を開き、お神酒を川に献上した。
二礼二拍手一拝一揖(にれい、にはくしゅ、いっぱい、いちゆう)。

八幡大菩薩、アーメン。
ノビタが準備を終わる頃、すでにオノさんは2流しめに入る。
ノビタも流す。
川は早くもなく遅くもなく止まっては流れる、不連続の連続。

1年ぶりのサヨリとの再会
6時を廻った。
浮子は、川の流れのままに流れている。
直径30センチ程の小さな渦が、ポツンと一つ沖めに出来ていた。
浮子は吸い込まれるように、その渦の中に入って行く。
渦の中央で浮子は静止、そのまま微動だにしない。
と、微かに浮子が傾き、ピクンと元に戻った。

小さい波紋が出来、消える。
瞬きする程の時間だったが、確かな魚信だ。
一寸、間をおいて、2度、3度浮子が傾き、周囲に波紋の輪を広げる。
その直後、浮子は斜めに、ゆっくり水中に沈んで行った。
今だ!竿を大きく合わせる。
水中からの反動が、手元にビビッと伝達。

「キタ〜〜〜〜!」
5.4メートル先調子ののべ竿が、大きく腕曲する。
獲物は姿を見せず、水中を大きく弧を描き逃げる。
次第に獲物は力つき岸に近ずいて来た。
足元のテトラで、最後の力を出し切ってサヨリが空中に跳ねる。
一瞬ハリス切れを心配し、ヒヤリ。
それが最後の抵抗だった。
水面から上がり、地上でバタバタ跳ね回るサヨリ。
32センチと小振りだが、感激、悦福、嬉々、謝々!!!。

                                      
納竿
                                       水晶のように輝くサヨリ
タコハイの神通力もここまでだった、また沈黙の川に戻る。
地元のおじさんが、隣りにやって来て、
「まだ早いかもしれないと、思いつつ来た」
と話しかけて来た。

やはりサヨリは4月末からがシーズンのようだ。
8時半までにフグを一匹追釣しただけ。
このフグは日立港沖堤防でお馴染みのトラフグの子供、でも海から2キロメートルも上流のこのポイントで釣れるとは驚きで、認識を新たにさせられた。

今日は”目出度さもほどほどなり、ノビタの春”だったが、明日への期待につながる1日でもあった。
開高 健の言葉を借りると、
「一匹と10匹のあいだにはさほどの差はないのさ。魚釣りは一匹つれたらそれでいいんだ。一匹とれるのと一匹もとれないのとにひどい差があるんだ。ここだよ」
う〜ん、1匹を征服するまでが高く険しい山であり、その後は余裕の道程か...。

9時に家に戻り、2度目の朝食を摂る。
内さんが、サヨリのお頭つき塩焼きを皿に持ってきて、卓の上に置いた。
箸を伸ばすと、
「このサヨリ、無念そうな顔をしているわね〜」
ドキリ!何という事を言うのだ、全ったく。
南無阿弥陀仏。
釣りたては
美味〜い

蛇足
今日の釣りとは全く関係ないです。
「釣り魚大全」を著わした十九世紀の釣り師ウォルトン卿の言葉。
”STU
DY TO BE QUIET”(おだやかになることを学べ)
なるほどな〜と思う。

空、海、川、は釣り師達に「おだやかになる」ことを教えているのかもしれない。
ノビタは浮世もさることながら、釣り場でも気持ちに余裕がない。
何せ、根がかりだ、お祭りだ、入れ食いだ、釣れなきゃ釣れないで、ああでもないこうでもないと、一時も休みなく落ち着きがない、おだやかなる心境とか、境地とは程遠いのだ。
だから、この言葉に惹かれるのかもしれない。
この一句、心に沁みるな〜。
釣り師の道標かも。

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