2008年4月19日(土)〜5月2日 小笠原釣りの旅
              
ノビタの釣り天国



  釣り師にとって
     「天国にいちばん近い島」で。
   
                                   
     天気も魚も上々

無職ヒマ無し
2月22日の釣り日誌を最後に、しばらく釣りに行っていなかった。
「ノビタから釣りを取ったら何が残る?」
と聞かれそうだが。
ーいえいえ御心配御無用。
”無職ヒマ無し”なのだ。


釣りに行かない日はパソコンに向かい、金になる作業でもないことに(ゲームではない)、時々深いため息をつきながら悪戦苦闘していた。

     
   非売品
要は、
「人生釣りが全て それ以外のことは 全てつけたし」
のつけたしの部分に夢中なのだ。
(左のDVDも8日間もかけ作成。これは、日立フイッシングセンターに、まだ売れ残っているノビタのサイン入り「明日に賭ける釣り」を購入された方に、サービスすることにした)

ノビタと同じ会社で、競合他社と熾烈に戦ってきた(?)企業戦士たちの中には、現役をしりぞき退役軍人となった者も多くなってきた。
その一人、常陸太田に住む友人は、家庭菜園と、陶芸と、ゴルフと、その合間に近県を車で探訪と。
ノビタと同じように、”無職ヒマ無し”の生活をしている。
彼のホームページは。ーーー>
こちら
彼も、残り少なくなってきた人生、おそらく1分、1秒たりとも無駄にしたくないと、ジタバタしているのか。

「人生の扉」
先月(4月2日(水))、NHK総合テレビの番組『SONGS』で、「竹内まりや30周年SP」を放映していた。
この午後10時45分〜午後11時半の番組をビデオに録っておき、翌日の深夜、スルメをかじりながらウイスキーをチビリ、チビリ啜(すす)り、ボーッと緩(ゆる)くなっていく頭で見ていた。

                                       
  人生の扉が収録CD
竹内まりやが作詞、作曲した「人生の扉」が良かった。
歌も詞も。
この歌、昨年、コマーシャルに使用され、話題になったそうだが。
いつか人は老い、そして地球の塵に。
と・・・・。
とかく空しさに包まれる人生の黄昏に、明るい希望を与えてくれるような歌では。
歌詞の一部は下記。

「春がまた来るたび ひとつ年を重ね
 目に映る景色も 少しずつ変わるよ
 陽気にはしゃいでいた 幼い日は遠く
 気がつけば五十路を 越えた私がいる
 信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
 どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

 I sey it’s fun to be 20
 You say it’s great to be 30
 And they say it’s lovely to be 40
 But i feel it’s nice to be 50

 満開の桜や 色づく山の紅葉を
 この先いったい何度 見ることになるだろう
 ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ

          ジョンビーチの浜
 I say it’s fine to be 60
 You say it’s alright to be 70
 And they say still good to be 80
 But I’ll maybe live over 90
 
 君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
 長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
 
 ・・・・・・(以下略)♪」

遠藤周作は言う。
「人間の価値を機能だけで計る現代では、社会での機能を失った老人は、あわれまれる対象以外何の価値もなくなったとも言えよう」と。
最近は、あわれみは言葉だけで、現実は老人に医療保険を請求する世の中になって来たが・・・。

   
「おがさわら丸」の旗がバタバタ
出発する前の晩
真夜中、時々眼が覚める。
と・・・。
「ゴーーーーゴーーーーゴーーーー」
と低くいが、巨大なパワーを感じる風の音が、遠く天空から聞こえてくる。
その風の音に、
「ザーーッ、ザーーッ」
と道を箒で掃くような雨音が混じった。
ー「おがさわら丸」は大丈夫かな〜。
と、その都度不安が増幅され、何でよりによってこんな日を選んだのかと、悔いることしきり。

今回の小笠原行きは、出発の4日前。
突然、発作的に、
「ボーズ・ビー・アンビシャス!(ボーズよ大志を抱け!)」(後継者不足に悩む全国坊さん連盟のスローガン)
とばかりに決めた。
そう、まるでデパートの衝動買いだった。
友人を誘ったが、当然の如く一笑され蹴られてしまった。

「飛ぶが如く」を道連れに
翌朝、5時半。
カミさんの車で家を出た時は雨は止んでいたが、まだ空は雲に覆われ、朝は夜の暗さを引き摺っていた。
雲は、川が流れるように西から東にどんどん流れていた。
午前6時20分、勝田始発のフレッシュ日立8号に乗る。
電車は2号の指定車、席は上野に向かって左の窓際。
電車に乗っていると、雲間から漏れる陽射しが車窓から飛び込み、そこだけ丸く椅子を明るくしたが、長く続かずまた陰る。

旅の道連れに持参した司馬遼太郎の文庫本「翔ぶが如く」を、カバンから出した。
この本、これまで何度か挑戦したが、その都度初めの数ページで挫折していた曰くつき。
題名から、躍動感溢れるサクセスストーリーを想像し、忘れてついつい手を出すのだが・・・。
その実、サクセスストーリーとは大違い。

その内容は、明治維新直後、新政府が暗中模索の国造りの途上で起きた征韓論騒動から始まる。
この征韓論で、新政府は西郷派と大久保派に分かれるが。
この本では西郷や大久保はもちろんだが、西郷派と大久保派に属する一人一人の心理まで詳しく分析している。
このあと話しは西郷ひきいる西南戦争へと続くようだが、まだ本は読んでる途中なので分からない。
とにかく難解である。
でも、この旅の期間中に全10巻のうち第4巻まで読み進んだ、我ながら快挙だ。
でも、読んだ後、何が書いてあったか覚えていないところがミソか。

少ない乗客
風が気になり、車窓から後ろに流れていく景色を見ていると。
青々とした遠景の林は静止しているのだが、近景の木々はやや揺れていた。
風は弱まっているようだが・・・。

   
4月19日午前8時35分竹芝桟橋
東京竹芝桟橋に着いたのは、午前8時35分。
早速、乗船手続きをする。
広いフロアーに40人ほどの乗客がいた。

乗船開始は午前9時半。
改札口に向かって右端は、特等船室、特1等船室、1等船室、特2等船室の乗客が並ぶ列。
その左は、2等船室に乗る乗船手続き順1番〜100番の乗客が並ぶ列。
その左は、乗船手続き順101番から200番の列、その左に201番〜300番の列・・・となる。
今日は、一番右の列に6人、そして1番〜100番の列で終わり。
101番以降には誰も並んでいなかった。
すなわち旅客定員1031人乗りの船に、わずか100人たらずの乗客しか乗らなかったのだ。
こんな日もあるのかと、驚いてしまったよ。

小笠原は遠い
小笠原に初めて行ったのは、今から11年前。
ネットサーフィンをしていると突然、
「若いふたりは
 ひとめが恥ずかしい でね
 レモン林で
 隠れて話しましょう♪」

と若い女性が歌う小笠原古謡「レモン林」がネットから流れてきて。
その南国的なメロデーと甘い声に誘われ、歌を聞いた3日後には「おがさわら丸」に乗っていた。

小笠原は遠い。
現在、東京と小笠原を結ぶ交通は、小笠原海運の「おがさわら丸」で行く25時間30分の海路だけ、飛行機の便はない。
飛行機で成田からロスアンジェルスを経由し、地球の裏側にあるブラジルのリオデジャネイロまで飛ぶ時間に匹敵するそうな。
かつ、便は週1回だけ。
海が時化たら、1週間の予定が2週間に。
普通の勤め人は、「ホーッ、ホーッ」と二嘆、三嘆するだけかも。
                                            
   プレミアム版
天国にいちばん近い島
海の透明度は水深40メートル、棲む魚種は800〜1000種。
森村桂ではないが、小笠原は釣り人にとって「天国にいちばん近い島」だと思っている。
2001年7月25日発行『完全保存版小笠原全ガイド 生地球 小笠原』(マガジンハウスムック書籍出版)という大型のグラビア雑誌がある。
定価は1,260円、現在、絶版でプレミアムがつき19,000円〜19,800円で販売されている。

その雑誌に、『小笠原を東洋のガラパゴスに』と題して、石原慎太郎都知事のエッセイが掲載されていた。
エッセイには、彼が1976年環境庁長官を勤めていた時に、はじめて視察で小笠原に行った時の感動が綴られている。

          
母島の南崎
その一部を引用すると、
「初めて見る小笠原は予想を上回る野生に溢れていた。
濃い緑。美しい手つかずの渚。
何より、海に潜ってみると、本州は勿論、沖縄などでも姿を見かけなくなった貴重な魚が、それこそ蚊柱のようにあふれかえっている。
・・・・・・

その自然は際立っていた。
雨水の浸食でナイフのように鋭くなった岩場(ラビス)を避けて歩くと、ハッカに似た香りの葉と、ムラサキ色の可憐な花を持つハマゴウがあたり一面に咲き誇っている。
白い砂浜といい、別天地の美しさである。」
と。

島民の悲願
石原慎太郎が、青島幸男前都知事に替わって東京都知事になったのは1999年4月。
石原都知事は、2001年、それまで青島幸男前都知事が推進してきた父島の時雨山空港建設計画を、環境保護の観点から白紙撤回し。
島を傷つけない代案として、超高速船TSL(テクノスーパーライナー)の建造を推進した。
全長139.0m、全幅26.8m。これは現「おがさわら丸」より8m長く、幅員も10m長い。
総トン数も約1万トンと「おがさわら丸」(約7000トン)をはるかに超える双胴タイプの客船である。
       
                                      島民の悲願
運航速度は、「おがさわら丸」が約22.5ノット(時速42km)に対し、約40ノット(時速74km)と驚異的スピードで海上を疾走する。
旅客定員は一人当たりの床面積を従来の2倍以上に広げるため、700人程度となる。
完成すれば、東京<−>小笠原間を15時間で走る予定だった。

が・・・。
TSLは、総工費115億円をかけて2005年6月完成したが、2005年11月、燃料費高騰などで年間20億円の赤字が見込まれ就航が断念されることに。
このため空港建設の話しが再度浮上、石原都知事も了承し総工費190億円をかけ、現在、父島の洲崎に1000mの空港を建設する計画が進められている。

空港建設の話しは、1991年に兄島が候補となり計画が進められ、1997年に父島の時雨山に計画が変更されたが、いずれも環境保護が理由で計画が白紙撤回されてきた経緯がある。
今回、候補となった洲崎は、磯釣り場としてガイドブックに紹介されている所。

本土と同じく、ここも釣り人の意向など、全く眼中にないようだ。
東京都は、小笠原の世界遺産への登録申請も行おうとしている。
小笠原は今、”東洋のガラパゴス”と、”東洋のハワイ(観光地)”と、相反する2つの理想を追っているようだが・・・。
この2つの願い、両立するのだろうか・・・。

           
空港開港と世界自然遺産登録が島民の夢








同類を探す

4月19日午前8時35分。
竹芝桟橋の乗船受付場。
まず、「おがさわら丸」本日欠航の案内が出ていないか目視確認。
ー・・・・・・無し。
とりあえずホッ。
受付に行き、乗船手続きを済ませ。
                                      
手を振り見送る女性
ホッとしたところで。
ノビタと同じような日本人がいないか、目ん玉を皿のようにして探す。
ー・・・・・・いない。
ノビタと同じような日本人とは、ノビタと同じ下手な釣り師という意味だが。

「大同小異」ということばがある。
すなわち釣り好きという意味では大同だが、釣りの上手、下手という小異が、仲間を選ぶには重要となる。
山口 瞳が残したことばに、
「私は練習を重ねることにより上達する人よりも、どんなに練習を重ねても上達出来ない人から勇気を与えられる」
がある。
ノビタは、勇気を他人に与えられるかどうかわからないが、後者である。

      
房総半島を通過
上手者の中には下手者を全身で排除する人がいる、下手者はそれを敏感に感じとる。
ルアー竿を手にした釣り人がいたが素人を寄せ付けない偏屈で、頑強、自己中そうな・・・感じ、声を掛けるのを止めた。
乗船してから父島の二見港までたえず周囲を物色し、結果、4〜5人の釣り師を見つけたが全て却下。
これが、島の乗り合い船で釣りをする時、金銭も含め大分痛手となる。

出航
「おがさわら丸」は、午前10時、定刻に竹芝桟橋を離岸。
見送り人は女性一人だけ。
誰を見送っているのか、時々、空中にピョン、ピョン飛び上がって両手を振っていた。
厚い雲に覆われた空の下、コンクリートジャングルの都が、水平線上に遠くなって行く。
風はまだ収まらず、東京湾内は白い小波が無数に騒いでいた。
問題は、房総半島を抜けた時の外洋の浪だ、大丈夫だろうか。

                                    
     八丈富士が右手に
お昼に、Cデッキにあるレストランでスパゲッティを食べる。
100人ほど入れるレストランは、20人ほどの先客がいただけ。
午後1時半、房総半島を通過、歩くのに少し揺れを感じたが、思っていたほどのゆれではない。
1時間、2時間・・・ゆれは、いつまでもその程度で、昨夜来の不安は雲散霧消された。
午後5時半、八丈島を右手に見る。
八丈富士が、うす蒼く染まった空の下、紺碧の海上に碧々とその姿を映していた。

父島が見えた!
翌日、午前10時。
光のシャワーが降り注ぐ海上に。
ー父島だ!
今回も小笠原は、最高の姿でノビタを歓迎してくれた。
あとで民宿のおばさんから教えてもらったのだが、小笠原はここず〜っと雨模様が続いていたそうで、奇跡のような快晴だそうだ。
                                    
    あれが父島だ!
青い空。白い雲。輝く太陽。
コバルトブルーの海。
鮮やかに映える島の濃い緑。
白く光る波打ち際。
空気が清々しい。

思わず、
ーお〜・それ・見よ!
と歌いたくなるような光景が眼前に広がる。

「Che bella cosa                 嵐のあとの空気が澄みわたり
  e’ najurnata e’ sole            太陽が照り輝く日は
 n’aria serena doppo na tempesta!  何と美しいのだろう!
 Pe’ll’aria fresca                 その爽やかな空気は
  pare gia’ na festa...           まるで歓喜しているかのようだ
 Che bella cosa                 太陽が照り輝く日は
  najurnata e’ sole               なんと美しいのだろう


 Man’atu sole                   でも私には
 cchiu bello,oi ne’               もっと美しい太陽がある
 ’osole mio                     その君の瞳が
 sta nfronte a te!♪              私の太陽!♪」
                  (イタリア民謡『オー・ソレ・ミオ』)

この後は、本にて。
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