2009年12月18日(金) 午後3時~午後7時40分
             
涸沼川のセイゴ釣り
ノビタの釣り天国


       めでたさもちゅうくらいの10匹

                                      やっと呼び鈴が鳴った
恋の奴隷
陽が沈んだ。
残映が、むこう岸の土手をくろぐろと隈どっている。
午後3時に釣りを開始して、すでに2時間経過。
まだ呼び鈴は一度も鳴っていない。
昨日からノビタは恋の奴隷だった。

「あなたと逢ったその日から
 恋の奴隷になりました
 ・・・
 悪い時は どうぞぶってね
 あなた好みの あなた好みの
 餌になりたい」

竿先のケミホタルの黄色い光は、闇夜に浮かんだままピクリともしない。
ー寒かった!
冷たい西風が顔を刺し、足の指が靴底で凍えていた。
群青の夜空に、氷の破片のような星が鋭く輝いてる。
昨日との温度差は大分あるようだ。
この寒さが魚の動きを鈍くしているのか。
河はゆっくり上流に流れていた。
ー今、喰らいつかなくて、いつ喰らいつくのか?

   
    今日も形は良かった
はじめの1匹
今日はかたさんと一緒だ。
かたさんは30メートルほど下流で、すでに40センチ級の寒ボラ3匹と、
30分ほど前に本命の40センチオーバーのセイゴをゲットしていた。
と・・・。
午後5時5分。
待望の呼び鈴が、
「リリーンリリーン、リリーン」
と静けさを破った。
反撃に勢いがあった。
何度かタジタジとなったが、無事陸に上げることができた。
熱烈歓迎の始めの1匹は46センチのセイゴだった。



鹿島港の事故の教訓
先日、鹿島港でまた釣り人が3人波にさらわれ行方不明になった。
一人は死体で発見されたようだ。
彼らは”有為の奥山”を越えたのである。
”有為の奥山”とは、下記の『夜叉説半偈』というお経の翻訳に出てくる言葉。
 「色は匂へど 散りぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
  有為の奥山 今日越えて
  浅き夢見じ酔ひもせず」
有為とは娑婆のこと、その山を越えた先は彼岸。
有為の奥山を越えると、もう夢を見ることもなく、酒を飲んで酔うこともない。
というお経である。
「極楽を保障されても娑婆がいい」
  (by 相田みつを)
生きていれば、明日も明後日・・・も見果てぬ夢を追うことができたのに。
亡くなった方々は、さぞかし無念であったろう。

海は危険だ。
自然は理性を超えた力で襲いかかる。
大波だけじゃない、テトラも堤防もほんの一寸した油断で落ちて落命することもある。
このノビタも足を踏み外し堤防から落下、危うく有為の奥山を越える経験をした。
それ以来ノビタは、ものすごく臆病になった。

昨夕(2009年12月19日午後6時~)、テレビで『釣りロマン』を見た。
外房でのオナガ釣りだった。
いつ波にさらわれても可笑しくない所で釣りをしていた。
あのような放映はよくない、と思う。
せめて画面に、”危険ですから決してまねをしないで下さい”というテロップを流すべきではないか。

危険は別に海だけではない。
車を運転していたら何時事故が起きても可笑しくない。
いくら自分が安全運転していても、もらい事故だってあるのだ。
階段から転げ落ちて死ぬこともある。
娑婆は危険が満ち満ちている。
一番危険なのは、大丈夫だという過信、慢心、油断だ。
鹿島の事故は、我々釣り馬鹿にまたまた警鐘を鳴らしてくれた。
でも事故は尽きない。
ノビタはものすごい臆病者だけど、それで良いと思っている。

納竿
川が下流に勢いよく流れはじめてからは、さっぱり釣れなくなった。
これ以上粘ってもダメと、午後7時50分に納竿。
かたさんの車に乗せてもらい帰って来た。
途中、信号待ちで後ろに止まった車からイチムラさんが降りてやって来た。
彼も涸沼川で、セイゴ釣りをしていたそうだが、釣れたのはボラばかりとボヤいていた。

本日釣果
セイゴ  25~47センチ 10匹

























The END
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