2011年7月7日(木)
       那珂湊 海水温 19.8度
           仙台港 小潮 満潮  7:11  干潮 13:36
ノビタの釣り天国


        塩釜沖にギンザケ乱舞!

                                     クーラーボックス満杯!
一生に一度きり
「来た。見た。釣った」
はんぱじゃなかった塩釜沖のギンザケ釣り。
喰気沸騰。喰気爆発。喰らって暴走。
今年限りの祭典は、始めから最後までかたさんとノビタを興奮の坩堝にした。
「きたきたきたーーー」
「凄いよ、こいつ!」
激闘数分、青い魚影が海面に浮上するも、敵は海上を悍馬の如く暴走する。
「引き寄せろ。もっともっと」
(なかなかタモに入らない)
「入った!」
                           
直後に、
「来てるぞーーー」
(隣人のタモ入れのため、置き竿にしていた竿に喰らいついたのだ)
竿先が湾曲し、ガタンガタンと頭を上下に振っている。
”100聞は一見にしかず”かたさんの撮影したビデオとノビタのデジカメ動画を合成し編集した映像を観賞下さい。
慌てて竿にしがみつくと、
「・・・・・・?」
(道糸がたるんでいる)
「どうしたの?」
「錘が消えたよ!?」
「食い上げだ!パワー全開で巻くんだ!」

ふけたままの道糸を夢中で巻いていると、
10メートルほど先で、サケが海面を裂き1メートルもジャンプ。
・・・
我々は、狂乱怒涛の勢いで突っ込むギンザケにエキサイテングし、快感し、恍惚し、陶酔した。
そして、まじり気なし100パーセントの感動を堪能したのである。
まさに特筆大書すべき戦史となったのである。(コホコホ)


BGM
まだ塩釜に行く前から、
シルヴィ・バルタンが歌う『あなたのとりこ』の題名のように、
ノビタはギンザケのとりこになっていた。

「・・・
 磯に砕ける波のように
 容赦なく降りかかる不幸に
 打ちのめされる時が来ても
 愛が私たちを救ってくれる
 涙のあとに喜びが
 冬のあとに花咲く季節が来るように
・・・」









                                             
東松島の町が消えた
津波の影響
我が家をかたさんの車で出発したのは、7月6日(水)の午後12時。
暑い日だった。
遮るものがない青空から灼熱の陽光が、燦々と降り注ぎ、庭の朝顔の葉がみんな垂れていた。
日立南インターから常磐高速に入り、いわきから磐越自動車道に抜け郡山へ。
ここまで2時間。
郡山から東北自動車道を突っ走り、塩釜に着いたのは午後4時だった。
通常ならば3時間半で来るのだが、被災者無料処置で車が増加し、出口が渋滞したからである。
塩釜はすっかり復旧し、以前と変わらぬ町並みになっていた。
津波の爪跡は、ガードレールとかよく注意してみなとわからないほどだ。
                                               
砂浜が海に
そのまま2月26日に訪れた東松島の鳴瀬川河口に行ってみると、様子は一変していた。。
鳴瀬川の北側に伸びていた白い砂浜が消えて、海になっていた。
海岸沿いにあった町は津波に流され、町跡は瓦礫で埋まりゴーストタウンになっていた。
我々は呆然として、そこを後にした。


東北丸のプロフィール
前日、東北丸が運営する民宿は災害復旧作業員で満員だったため、仙台のカプセルホテルに一泊した。
翌、7月7日(木)。
午前4時に店に到着。
5目釣り専門の東北丸第36に乗船した、同船同夢は我々を含めて9人。
他の東北丸2船は、ギンザケ専門船でそれぞれ満員だったようだ。

かたさんとノビタは予め予約していた左舷側の中央に釣り具を下ろした。
東北丸は予約時に席を指定する、これは嬉しい、朝早く来て席を奪い合う必要が無いのだ。
我々が乗った船には、左舷、右舷それぞれに9個のロッドキーパーが充分な間隔をおいて固定されていた。
座席も広く荷物を置いても余裕があり、座席と船縁間も広く、竿をのびのびと操作できるようになっている。
電動リール用の電源も船縁についていた。
タモは軽いアルミ製の柄なので、扱いが楽であった。

東北丸は釣り人のことを、とことん研究した遊漁船である。
今回の船長は20代に見えたが、客への気配りを最優先する言動を肌で感じた。
「物事の本質はえてして中心よりも末端に露呈されるものである」(開高 健)、
経営者の顧客第一主義が、船の設備、そしてスタッフの行動に具現している。
間違いないであろう。

      
松島の絶景の中を
仁王島が!
午前5時。
東北丸第36は塩釜港を出船。
花曇りというのだろう、薄い雲の上にぼんやりと日が透けて見えながら、空は一面に曇っていた。
暑くもなく寒くもなく、風は空気の流れを感じる程度。
海は湖のように凪ていて、絶好の釣り日和である。
港を出ると、しばらくは松島の絶景が流れていく。

突然、
「仁王島だ!」
と、かたさんが感極まった声を上げた。
見ると、首がポキンと折れそうな仁王島が、震災前と変わらぬ姿で、デーン!と海の上に座していたのである。
その姿を見ているだけで、何やら元気が湧いてきて、
しばし、感嘆。
声を出さずに、
「よく頑張った、天晴れ!」
と叫んでいた。
                                                   
活き餌銀兵
不測の事態で釣り中断
午前5時半、現場到着。
5目釣り開始。
仕掛けは、東北丸店で購入したヒラメ釣り用胴突き2本針に、活き餌銀兵を付けた。
この活き餌は、汽水域に棲むウグイの仲間らしいが、その生命力は驚くほど強靭だ。
餌持ちが良いので、ヒラメ釣りには最高の餌らしい。
この餌を知ったあとでは、もうイワシなんぞ阿呆らしくて使えないよ。

仕掛けに錘50号をぶら下げ、ドボーン!。
水深は30メートル。
海底はゴツゴツした岩礁地帯。
根掛かりに注意しながら底をトントンと数回小突くと、《ググッ、ググッ》ときた。
なんとも早い応答だ。
塩釜沖の魚影の濃さにあらためて驚嘆したよ。
はじめの1匹は、30センチを超すソイだった。
このあともメバルやソイが、次々と釣れた。

釣りを開始してから1時間経過した時だった。
「急病人が出ましたので、港に帰ります」
と、スピーカーから船長の声が。
全員、仕掛けを回収すると同時に、船は港に向かって発進。
倒れたのは右舷側の釣り人、仲間2人に両脇から支えられていた。
止むを得ないが、残念な中断だった。
港につくと、救急車が待機していて、病人はタンカーで運ばれたが、救急車はなかなか発車しない。
船長も気がかりで船を出せない。
ノビタは、まだかまだかと気が焦る。
ようやく船が港を再度出船したのは、午前7時半。
船が岸壁から遠くなるまで、
病人の釣り仲間が、すみませんでした、と何度も頭を下げていた。

ギンザケ入れ食い
午前8時半。
鳥山が立ち、ギンザケが跳ねるポイントに着いた。
ここがギンザケの銀座通りらしい。
半信半疑で仕掛けを下ろしたのだが・・・。
ここは、われわれの期待を裏切らなかった。
病人発生で2時間ロスしたが、
そのロスを穴埋めするだけでなく、ありあまるほど楽しませてもらったよ。

       
鳥山が立つ海で
水深は27~8メートル。
開始すると同時に、右や左でギンザケが次々と上がった。
ノビタは出遅れ、はじめ外道のメバルばかり釣れていたが、
開始から10分ほど経過したところで、待望のギンザケの強烈なアタリを享受した。
オタオタしながら釣り上げたのは、50センチほどのギンザケ。

このあと、しばらくバラシが続発。
その原因が分かったのは、3回バラシたあと。
原因は、
自作の胴突き3本針仕掛けの、幹糸とハリスを結束する回転ビーズのハリス止めにあった。
仕掛けを修復すると、100発100中となる。
                                         
最後まで抵抗する
ギンザケを4本釣ったところで、活きえさ銀兵がなくなり。
ーさてどうしよう?
と路頭に迷ったのだが、右隣りの人はイカの短冊切りで釣っていた。
ならば、
釣ったメバルの切り身でも良いかもと、それを餌にすると、おもしろいほど飛びついてきた。

かたさんに教えてやると、彼も活き餌銀兵がなくなっていたようで、メバルの切り身に切り替えると、30センチ超のソイをダブルで釣ったり、メバルをトリプルで釣ったり。
どうやらメバルの切り身は、ギンザケやメバル、ソイの好餌らしい。

納竿
午後1時、納竿。
クーラーボックスに入りきらないので、船長にクール宅急便で送りたいと相談すると。
「わかりました。すぐ店の方に連絡します」
と、気持ちよく了解してもらった。
午後2時に港につくと、店のお姉さんが2トン車で待っていた。
お姉さんが、ギンザケを発砲スチロールの箱に積め、それに氷を入れて梱包し、発送してくれるとのこと。
ノビタは、お姉さんに送付先を教え送付料金を手渡すだけで済んだ。
お手数多謝。
東北丸さん、ありがとうございました。

本日釣果
ギンザケ  45センチ~60センチ 17匹
ソイ     30センチ前後     3匹
メバル    22センチ前後    12匹

The END
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